どうも、職業『泣き言』if太です。(ブログはだいぶ前に更新していたが、動画用にするのが難しかった)
最近は、プログラミング学習も順調にいかず、将来不安と冬の寒さも相まって、メンタルが弱っていました。
というわけで、鬱の在庫整理のお時間。これが大事。
鬱積したモヤモヤを言語化しながら吐き出していくコーナー。そうすることで、ぼんやり悩まずに前に進むことができるんですよ。
今日の鬱は、アラサーで仕事をやめて、人生好転のためにプログラミングを始めたけど、エンジニアを本業にしたくないって思考が支配的になってきたことなんですよ。
半年ほど学習を進めてきて、エンジニアとしての業務への憂鬱だとか、労働市場を意識した時の競争力や戦闘力のなさに疲れてきました。
当然、未経験だから、業界の中でもレベルが低いのは当然だけども、未経験の中でもかなりの無能さだと。
この状態で資本主義の競争市場に巻き込まれていくのは、憂世すぎるなと。
最初の頃は、「どうせ慣れるだろう。」「みんなそうだから。」「向いてない・適性がない」ってのは甘えの発想だ!」って言い聞かせてきたけど、やはりそれでもエンジニアになるのはきついなって思うようになりました。
その理由を3つほど語っていくけれども、
細かい作業やエラー解決が苦痛でしかない
何よりも要件に沿ってコードを書くのが苦痛でしかないんですよ。
プログラミングってのは、細かいパーツを配置していく、プラモデルを組み立てるような緻密な作業が要求されるし、エラー解決ってのはウォーリーを探せよろしく、超細かい間違い探しをコンプリートするような注意深さが必要になります。
この作業が苦痛で仕方ないと。
例えば、エラー解決でも、先日は部分テンプレートを呼び出しているのに、ずっとエラー、「templete is missing、つまり部分テンプレートがディレクトリにない」ってエラーが出たんですけど、
どう見てもあると。
って思いながら悩み散らかしていたら、よく見ると自分が作ったパーシャル が「.html.erb」ではなくて「..html.erb」にしてしまってたんですよ。
「.1個で動かない」という世の中の理不尽さを痛感しましたね。「
そうしてやっとの思いで、エラー解決をしたら、エラー解決中にああでもない、こうでもないって色々いじってるうちに別のエラーを引き起こしてしまってるんですよ。
まさにワニワニパニック。1個叩いたら、次は2個出てくる。
そんな風に直せども直せども、別のエラーが出てくると。
タスク量をこなせないのがイライラするから
そして、こんなエラーで激しく時間を消耗するわけだから、とにかく1日生産性が悪くなるんですよ。
僕はその日にどれだけのタスク量をこなせたかに対して、カタルシスを感じる性質がありまして、エラー解決に何時間もかけてしまうってのは、トータルイライラが噴出してしまうんですよ。
1日の生産性が悪いという点で非常にストレスになるんだよ。
非常に有名な書籍の「さあ才能に目覚めよう」の強み診断テストのストレングスファインダーの中で、僕のトップ5に「達成欲」があったり、ADHDの多動も強くあることにも原因があると思いますね。
そうして、何も進んでない状況にイライラして、ADHDの御家芸である全部中途半端に色々手を出しまくるを発動してしまうんですよ。
「エラー解決できない」
「他のことも進めたい」
「でも、スクールの課題を優先しなきゃ人生が進まない」
「でも、1日に達成したことが少なすぎてイライラする」
「もっとやりたいことがあるのにそっちを優先するわけにはいかない」
「でも進まない」
こんな感じで1日が終わりますし、これが本業になるって考えただけでおぞましいですね。
現場レベルだと動けばいいわけではない。キャッチアップに追われるのも嫌だな
そして、エンジニアの現場ってチームで動きますよね。プログラミングって、個人の趣味レベルだったり、個人アプリ開発なら動けばいいんですが、チームで働くってなると動くだけじゃなくて可読性をあげていかなきゃいけないわけですよ。
・可能な限り汎用性の高いパーシャルを作らなきゃいけないし
・オブジェクトの判定はモデルに書かなきゃいけないし、
・勢いでrails db:rollbackをしてはいけないんですよ。
やはり、スクールの課題でテストが通らなかったりすると、
「動いてんねんからええやんけ。」
みたいな発想になっちゃうんですよ。こういう最後の詰めみたいな作業が僕には、拷問のごとしなんですよ。
業務遂行能力の低さ
極め付けってのは、自分の労働市場に入ったときの競争能力の無さですね。
以前、YouTubeで自分の適性のなさを嘆いていたら、
『大丈夫です!スクールに行っている時点で別に周りの人もそんなに大したことないですよ。落ち込まなくていいんです!』
みたいなコメントがあって、『余計あかんがな』と励ましのような追い討ちをかまされたことを記憶に思い出しました。
目安8時間で仕上げてください!みたいな課題でも1週間くらいかかってたり、僕が生きてる世界線と「目安」の意味違うんかなって思ったりしますね。
アドラー心理学の「他人と比較するな」とか「普通である勇気」って概念を解説した嫌われる勇気みたいな本があるけど、
競争が前提のこの資本主義で、その境地に至れるやつって何者なんだよって思うわけですよ。
『そもそも普通になれねえから困ってるんだよ』
僕の場合は『普通』に強烈なコストがかかるんですよ。
他人と比較して「希少性」を出して自分の存在価値を見出していく資本主義で、やはりどうしても相対評価からは免れることはできないんですよ。
確かに、勉強時点で他人と比較しなくていいとは思うし、趣味レベルなよくても、業務でプログラミングをこなすって、強烈にきついなと。
資本主義は「競争原理」と「合理主義」の二重螺旋構造なので、ある程度競争力がない状態で市場原理に入ると、やはり心を病むんですよね。
自分を冷静に、客観的にみて、どう考えてもプログラミングに関して周りより劣っていると。1ヶ月、2ヶ月後ろの人にもあっという間に抜かされていったし、どんどん周りの人に突き放されていくし、仮にエンジニアになっても盛り上がっているエンジニア市場に後から後から優秀な 後発者に抜かれることを考えて辛くなってしまいますね。
今はスクールだからいいけど、これが職場だったらって考えると憂鬱ですね。
もちろん、1年2年と学習を継続していけば、普通にはなれるかもしれないけど、「時間」も「お金」も無限にあるわけではないので、少なくとも3〜4ヶ月後くらいには働いていたい。だけど、3、4ヶ月後にすでに現場に入っていると考えると遣る瀬無い気持ちになりますね。
だけどエンジニアという働き方は魅力的
ただ、これで結論づけられるなら、迷いはしないんですよね。そしたらこの動画が「エンジニア諦めました」って動画になっているんだよ。人生迷走するということは、エンジニアも捨てがたいってこと。
なんと言っても、エンジニアっていう生き方の将来の安定性だったり、数年我慢すれば引く手数多になれるのは魅力的なんですよ。その安定性に惹かれてプログラミングを始めたわけだから。
27歳で人生の基盤を作る上で、安定ってすごい大事だと思うし、自営業のままでは自分の家族を持つなんて想像もつかないんですよ。
でも、待遇のよさだけでできるほどエンジニアは甘くないと。
こうして現在の僕は、
「エンジニアの将来性」と「業務遂行能力のなさ」のはざまで揺れて、まどろんでる感じですね。
「エンジニアになるべき」「エンジニアにならない方がいい」この2点を往復しながら悩みを増幅させている状態でなんですよ。
「希少性」とか「成功」とか「結果」とかすごい興醒めだよね。
ここからは完全に僕の世界へのどうしようもない愚痴を配信していくので、ラジオのごとくお聞きいただけるとありがたいですね。
やっぱりね、資本主義の世界って心が冷めていくんですよ。
・「希少性のある人材」になって、「成功」して、「結果」を出し続けましょう。
・どんどん市場価値を上げるようにキャリアを設計していきましょう。
・周りの人と差別化できるようにスキルを身につけましょう!
こういう世界線って本当に興醒めだな〜って思うんですよね。
資本主義の問題点って、情熱とか努力に関わらず業界で給料が決まることですね。そして、そのお金に色がないんですよ。
人の心を動かす感動させたり、細部までレトリックにこだわった文章よりも、「プログラミングスクール名 評判」みたいに、すでに商品買いたい人を集客する駄文記事の方がはるかに儲かるし、
エッセンシャルワーカーが命を救って稼いだ1万円と、ポチポチスマホでしてトレードで稼いだ、世界になんの価値も生み出さない投機家、トレーダーが稼いだ1万円も同じ使用価値でしかないと。
お金ってそこに至る歴史が見えないんですよ。
この世界では、自分の得意不得意や情熱以上に、資本主義に有利なジャンルを選んだ時点で決定しているんですよ。
なので、この世界のルールに最適化した途端、人生が数字のゲームになって途端に心が冷めていくと。
そして、僕自身こういう争いに巻き込まれて生きてきたし、心覚めながらも合理主義者なので、そこそこ資本主義に適応することもできたんですよね。
でも、合理的に生きていくと、自分の中で積み上がるものがないし、熱く燃え上がるものがないんですよ。僕自身これまでフリーランスエンジニアなんか目じゃないくらい自由に暮らしてきたけど、どこか虚しさを感じていました。
合理性が情熱を押さえ込んできたんですよ。
「本当は、利益関係ない心を揺さぶるような文章を書きたい」
「本当は、チームでいろんな人と仕事をしたい」
「本当は、仲間がいて熱い思いで、仕事がしたい」
だけど、自営業でいくら稼いでも収入不安がある間は、
「こんな金にならない記事に10時間とかかけるくらいなら、サクサク収益になる記事書いた方が合理的でしょ」
「人が増えれば増えるだけリスクになるだけでしょ?」」
「人間関係? しがらみになるだけでしょ?」
みたいに合理主義スイッチが押されて、4年間孤独に過ごしてきました。
毎日いくカフェでは、そこのおばちゃんに人間関係を心配されて、毎日のようにチョコとかクッキーをもらって、カフェのおばちゃんの愚痴を聞く日々でしたね。見知らぬ人に心配されるくらい、ずっとそのカフェに居座ってました。
こういう「合理性」とか「キャリア」とか「成長」とか「市場価値」とか「競争」って言葉が僕らの中からどこか欠乏感を生み出しているんじゃないかなって思うんですよね。
ここ数年は、自分の中の本当の想いと、自分の中の合理主義者が争い続けてきました。
そして今でも、自分の中で資本主義的な価値観と、自分の情熱を燃やせることがうまく付き合っていく、両者を止揚したジンテーゼを見出せずにずっと悩み悶え続けています。
成長というファシズム
ここ最近、久しぶりに人と関わるようになりました。自営業をやっていた4年間はろくに人との関わりがなかったけど、今はプログラミングスクールに入ってだいぶ交流が増えました。
思うのが、すごく良い人ばかりだし、
「受講生がわでもイベントを開いたり、」
「わかるところは教えあったり、」
「他人に対して気を使えたり」
それゆえ自分のロクでもなさに心が痛むんだが、やっぱり人それぞれ三者三様の良さがあるんだよね。
多分プログラミング始めた人の中でも、なんとなく自分の仕事に先が見えないとか、もっと成長しなきゃいけない気がするとか、このままではAIに仕事を奪われて心配だ!とか、
なんとなく成長しなきゃいけないって理由で始めた人も多いと思うんですよね。
そんなにみんながみんな成長しなきゃいけないってのもモヤモヤするな〜って思うんですよね。
まだ、このモヤモヤを言語化できないけど、成長そのものがファシズムみたいに感じるんですよね。
この世界はどこもかしこも注文の多い料理店なんですよ。
京都で生きていくのもありだな。
僕自身も「なんか成長しなきゃいけない気がする・・・」って思って、プログラミングを始めた1人なんですよ。
手に職があれば、いつでも稼げるし、将来が不安だから。
だけども、大学生から7年間東京で暮らしてきて、当然のように東京のペースに巻き込まれていました。今年京都で1年間を過ごして思ったのは、少なくとも生きていけるなって。京都で生きていくくらいどうにでもなると。特に僕は自営業をやってきたので、不安が強いんですが。
成長して、キャリア積んで、スキル磨いて、他人に勝たなくても生きていける場所があるってことを実感できたのはよかったですね。
コロナでもない限り、東京を出ようって発想もなかった。もっともっと成長しなきゃいけないって成長が義務になっているのも、東京のローカルルールなんですよね。
だから、キャリアとか希少性とか将来とか考えずに自分軸で働きたいし、いろんな人に愛されるサービスを作りたいし、たとえプログラミングが仕事じゃなかったとしても、継続していきたいですね。それで東京で生きていけなかったら、こっちから東京なんて願い下げ。また京都で暮らして生きていこうと思いますね。
というわけで、特にまとまりはないですけど、話しているうちに、今悩んでいることがなんとなく言語化できて、1個YouTubeのコンテンツに昇華したので、この悩みも無駄ではなかったなと。
また、今日も勉強に邁進していこうと思います。